紅茶の歴史

紅茶の誕生、インド・セイロンで紅茶が生産されるまで

お茶の8割は紅茶

世界の茶の生産の8割は紅茶なんです!

現在、世界の茶の生産の8割は紅茶です。
1985年の茶の収穫量は2,333(千トン)、そして緑茶の生産量は424(千トン)程度です。日本では中国から伝わってきた緑茶が普及しており、紅茶の消費量は緑茶に遠く及びません。お茶のふるさと中国も緑茶の消費が中心です。
ところが、それ以外の地域、ヨーロッパやアメリカではお茶といえば紅茶で、特に、茶の輸入数量では圧倒的な国イギリスは紅茶の本場です。いったい、どのようにしてイギリスで紅茶が隆盛を極めるようになったのでしょうか。

紅茶のはじまり

紅茶はどのようにして生まれたのでしょうか。福建省武夷山の烏龍茶を進化させて、安徽省の祁門で紅茶が生まれたと言われます。


一説には、1784年に余干臣が宦官をやめて商人になり福建省から安徽省にやってきて、福建省の発酵茶「工夫茶」にならって東至県に工場を設立し、工夫茶にならって茶の製造を始めた。次の年には、祁門県(祁の偏は[示]です)に二ヶ所の製茶工場を設立して「祁門紅茶」を造りこれを拡大していったと言われます。

また一説には、1786年に祁門の南の貴渓の胡元竜が日順茶工場を開設して、烏龍茶を改良して「祁門紅茶」を完成させたとも言い伝えられてます。

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イギリスに受け入れられた工夫紅茶

ティーカップ

初期にイギリスにもたらされていた武夷の烏龍茶は、最下級のもので、高級茶用に摘み取ったあとの三番茶を輸出用に広東まで運んで略式の製茶工場で製茶したもので、品質の悪い安価な大衆向けの輸出品でした。このため、最初は粉緑茶がイギリスでの喫茶の中心でした。

しかし、東インド会社の独占の裏で密輸業者が大量に輩出し、また、茶業者では輸入した緑茶に茶以外の植物や不純物を混ぜることが流行し、緑茶も決して質の良いものとは言えなくなっていました。また、肉類主体の食生活には、烏龍茶の方が口の中の油脂分をさっぱりと流してくれるということも知られ、烏龍茶や烏龍茶の中でも発酵度合いの強いものにイギリスでの需要が向いていった頃でした。

もともと祁門は品質の良い緑茶の生産地ですが、祁門で生まれた質の良い工夫紅茶は、高値で取引され、イギリスでこの酸化発酵の度合いの強い工夫紅茶はすぐに広まりました。紅茶の前身となった福建省の武夷茶が日乾式だったのに対し、祁門紅茶は焙製(籠に入れて炭火で熱して乾燥させる)になるなど、イギリスへの輸出をにらんで生産法を進歩させたものでした。
なお、「工夫(コングー)」とは、手間隙かけているという意味です。

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イギリス独自の文化へ

砂糖菓子

イギリスでは産業革命が進行して、工業化社会が成立していく時代でした。
喫茶の習慣は、上流階級から、中産階級に普及し、労働者階級でもときには茶を飲めるようになっていきます。昼間からアルコール飲料を飲むより、健康面でも、お茶を飲むことが進められました。

茶の飲み方も、薄めに淹れてストレートで飲む飲み方から、濃く淹れた茶に、ミルクと砂糖を加えて飲むように変化していきました。西インド諸島での砂糖量産の成功によって、砂糖の価格が急低下する「砂糖革命」で値段の安くなった砂糖を、緑茶より香味の強い工夫茶に加えて飲む、という習慣が定着していったのです。

1790年頃には、イギリスで茶漉しが発明されます。中国では今でも広く茶碗に直接葉を入れてお湯をさして飲んでいることは有名です。19世紀に入る頃、イギリス独自の製法「ボーンチャイナ」の骨灰磁器が開発されます。

また、金属板に銀板を張り合わせて作った安価な銀の茶器も販売されるなど、イギリスでの独自の茶器が製作され、普及していきます。ここに、イギリスでの喫茶は、中国製の茶器の利用だけにあきたらず、独自の茶道具を開発して、独自の文化として発展していくことになるのです。

インドでの紅茶生産

茶園

インドでの紅茶生産は、イギリス帝国主義の下に行われました。

1823年、植物学者のロバート・ブルース大尉が、インドのアッサムで野生のチャの樹を発見しました。イギリス帝国が必要とする紅茶を中国以外の土地で栽培、自給し、他国へも輸出しようとして、1838年には、インド総督ウイリアム・ベンティンク卿の下「茶業委員会」が設置され、アッサム地方でのチャの栽培と製茶が研究されはじめました。
中国から種子や苗、労働者を送り、調査・実験が行われ、1839年、最初のアッサム紅茶8ケースがロンドンで競売されました。

これを機に、イギリス人たちはアッサムでの製茶事業に乗り出しました。プランテーションによる、機械化され安定した品質の紅茶は、改良・工夫を重ねた結果、色・香りとも強く安価で高品質の紅茶となって、小規模生産の中国紅茶を駆逐していってしまいました。

また、中国種に比べ、アッサム種はタンニンが多く、タンニンの酸化によって作られる発酵茶の紅茶には適しているものでした。

インドでの紅茶製造は発展し、東パキスタン、セイロン島へも拡がっていきました。また、オランダの植民地インドネシアでも、1870年代に入ってからプランテーションが開発され、ジャワ島での紅茶生産もインドやセイロンに次ぐものになりました。

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